ブルーインパルスの展示飛行に心を奪われ、「この飛行機、誰が操縦しているの?」と思ったことはありませんか?
本記事では、F-86F時代からT-4まで、ブルーインパルスの歴代パイロットを一覧でご紹介します。
各時代の特徴や象徴的なメンバー、殉職者への敬意、さらには2020年代以降の現役パイロットまで、時代を超えて空を彩ってきたプロフェッショナルたちの軌跡を網羅しました。
彼らがどんな背景で選ばれ、どんな訓練を経て飛んでいるのかも丁寧に解説しているので、ブルーインパルスファンなら必見です。
航空祭の前に読めば、空を見る目がもっと深く、熱くなりますよ。
ブルーインパルスの歴代パイロットを一覧で紹介

この記事では、ブルーインパルスの歴代パイロットについて、時代ごとに分けて詳しく紹介していきます。
初代から現代まで、どのようなパイロットたちが空を舞ってきたのかを、わかりやすく解説しますね。
そもそもブルーインパルスとは?
ブルーインパルスは、航空自衛隊の公式アクロバット飛行チームで、正式名称は「第4航空団第11飛行隊」です。
航空祭や国民的イベントでの華麗な展示飛行で知られ、東京オリンピックやW杯などでも活躍してきました。
ブルーインパルスの魅力は、高度な技術、緻密なチームワーク、そして感動を呼ぶ飛行演目にあります。
| チーム名 | 正式名称 | 拠点 | 機体 |
|---|---|---|---|
| ブルーインパルス | 第4航空団第11飛行隊 | 宮城県松島基地 | T-4 |
歴代機体と時代区分について
ブルーインパルスは、創設以来以下の3機体を使用してきました。
それぞれの時代で活躍したパイロットの顔ぶれを紹介していきます。
| 使用機体 | 運用期間 | 特徴 |
|---|---|---|
| F-86F | 1960〜1981年 | 初代・ジェット戦闘機由来の機体 |
| T-2 | 1982〜1995年 | 国産超音速ジェット機 |
| T-4 | 1996年〜現在 | 現行機。航法装置や視認性が向上 |
F-86F時代のブルーインパルス・パイロット

ここでは、1960年にスタートしたブルーインパルス初代機「F-86F」時代のパイロットたちを紹介します。
日本の航空アクロバットの草創期を支えた、パイオニアたちの軌跡を辿りましょう。
初代メンバー一覧と時代背景
F-86Fは、ブルーインパルスのスタートを象徴する機体で、戦闘機としても使われていました。
この時代のパイロットは、自衛隊草創期の混乱の中で、命を懸けて日本初の展示飛行文化を作り上げた存在です。
| 氏名 | 出身 | 期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 長澤 賢 | 陸士 | 1958–1959 | 初代チームメンバー |
| 松尾 宣夫 | 幹1 | 1958–1963 | |
| 西村 克重 | 航1 | 1961–1965 | |
| 船橋 契夫 | 幹5 | 1961–1967 | のちにT-2期へ |
| 田代 健二郎 | 航14 | 1968–1981 | F-86FからT-2まで長期在籍 |
殉職者とその功績について
初代ブルーインパルスでは、訓練中の事故によって命を落としたパイロットもいます。
加藤 松夫3佐は1961年、次期編隊長候補として訓練中に墜落し、殉職。
このような事故を経て、安全性や練度が高められてきたことは見逃せません。
| 氏名 | 事故年 | 状況 |
|---|---|---|
| 加藤 松夫 | 1961年 | 伊良湖畔沖にて墜落・殉職 |
F-86F期は、日本の航空自衛隊アクロバット飛行の礎となった時代であり、挑戦と試行錯誤の歴史でもありました。
T-2時代のブルーインパルス・パイロット

続いては、2代目機体「T-2」で運用されていた時代のパイロットを見ていきましょう。
この時代は、日本初の国産超音速ジェット練習機が使われ、より高度なアクロバット飛行が可能になりました。
2代目メンバーと飛行展示の変化
T-2は、F-86Fに比べてパワーや機動性が格段に向上しており、飛行展示の内容もよりダイナミックに。
そのため、パイロットには精密な技術と即応力が求められるようになりました。
| 氏名 | 出身 | 期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 塚原 公悦 | 防大12 | 1977–1983 | T-2アクロ研究 |
| 岡本 俊基 | 航17 | 1978–1985 | |
| 田中 光信 | 航24 | 1978–1996 | 複数回在籍 |
| 河村 和眞 | 航22 | 1982–1986 | T-2アクロ研究 |
| 横地 正治 | 航25 | 1979–1991 | 長期在籍 |
この時代の特徴は、アクロバット飛行の完成度が一気に高まり、観客に驚きを与える演目が増えたことにあります。
T-2時代に発生した主な事故と影響
T-2時代は華々しい反面、重大な事故もいくつか発生しています。
1982年11月、浜松基地航空祭での展示飛行中に高嶋 潔1尉が殉職し、周辺住民12人も負傷する大事故が起きました。
| 事故年 | 氏名 | 状況 |
|---|---|---|
| 1982年 | 高嶋 潔 | 展示飛行中に墜落・殉職 |
この事故を契機に、飛行展示の安全基準の見直しや訓練体制の強化が行われました。
T-2時代は飛行技術の飛躍と、リスク管理の始まりを象徴する転換点だったと言えます。
T-4時代のブルーインパルス・パイロット

1996年からは、3代目機体「T-4」が正式に運用され、現在に至るまで使用されています。
この章では、T-4時代のパイロットたちと、歴史的な事故を中心に紹介していきます。
3代目の登場と新時代の始まり
T-4は、従来よりも安全性と操作性が高められた練習機で、視認性の高いキャノピー(操縦席の透明な覆い)も特徴です。
この新しい機体に合わせて、パイロットの育成方法もより精密なシステムに移行しました。
| 氏名 | 出身 | 期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 小倉 貞男 | 航29 | 1992–1997 | T-4準備班 |
| 黒井 博文 | 航38 | 1993–1997 | 準備期を支えたパイロット |
| 夛田 晋 | 航31 | 1996–1999 | |
| 一嶋 三樹 | 航39 | 1997–2000 | 墜落事故により殉職 |
| 村田 将一 | 航40 | 1997–2009 | 長期にわたり活動 |
T-4時代の殉職事故とその後の対応
2000年には、宮城県牡鹿半島沖での訓練中にT-4が墜落するという悲劇が発生しました。
この事故では、阿部 幹雄3佐、一嶋 三樹3佐、梅川 智弘1尉の3名が殉職。
| 事故年 | 氏名 | 状況 |
|---|---|---|
| 2000年 | 阿部 幹雄 | 牡鹿半島沖で訓練中に墜落・殉職 |
| 2000年 | 一嶋 三樹 | 同上 |
| 2000年 | 梅川 智弘 | 同上 |
この事故以降、訓練マニュアルや気象条件判断の見直しが進められ、より厳格な安全管理が実施されるようになりました。
T-4時代は「安全性・技術・信頼性」の三位一体で進化した時代です。
2020年代以降の現役・最新パイロットたち

ここからは、2020年代に入ってから活躍している現役のブルーインパルス・パイロットをご紹介します。
航空祭やテレビ放送などで見かけた「あのパイロット」は誰?という疑問にもお応えします。
近年の航空祭と活躍するパイロット
2020年以降、ブルーインパルスは東京2020オリンピックやコロナ禍での医療従事者への感謝飛行など、国民の心を動かす飛行を多数行ってきました。
その飛行を支えてきたのが、以下のような2020年代のパイロットたちです。
| 氏名 | 所属期 | 活動期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 佐藤 裕介 | 航66 | 2023– | 2024年航空祭で注目 |
| 松浦 翔矢 | 航69 | 2024– | 若手の注目株 |
| 加藤 拓也 | 航65 | 2022– | |
| 川島 良介 | 航55 | 2022– | 中堅として支える |
| 名久井 智之 | 防大49 | 2021–2024 | 精密な操縦技術で知られる |
近年は、SNSやイベントでもパイロットへの関心が高まっており、名前と顔が一般に知られる時代になっています。
女性パイロットや兄弟での所属例も紹介
2020年代は、多様性の時代でもあります。
ブルーインパルスにはまだ女性パイロットは所属していませんが、女性整備員や広報官などが増え、関与の幅が広がっています。
また、稻留 智さんと稻留 仁さんのように、兄弟でブルーインパルスに所属したという稀有なケースも注目されています。
| 氏名 | 関係 | 備考 |
|---|---|---|
| 稻留 智 | 兄 | 第11飛行隊・11代目隊長 |
| 稻留 仁 | 弟 | 5代目2番機・2020年代に活躍 |
将来的には女性パイロットの登場も期待されており、ブルーインパルスの多様性は今後さらに広がると予想されます。
ブルーインパルス・パイロットの選抜と訓練とは?

ここでは、誰もが気になる「ブルーインパルスにどうやってなるの?」という疑問に答えていきます。
選ばれる基準や訓練内容、そして隊員の生活スタイルまで解説します。
どうやって選ばれるのか?
ブルーインパルスのパイロットは、航空自衛隊の中でも戦闘機パイロットとして十分な実績を積んだ隊員から選抜されます。
選考においては以下のような要素が重視されます。
- 飛行時間(最低でも数百時間)
- 正確かつ安定した操縦技術
- チームワークを大切にする姿勢
- 体調管理能力
年に一度、全国の部隊から選抜候補者が集められ、松島基地での面接・飛行試験を経て最終的に数名が選ばれます。
選抜後の訓練と生活スタイル
ブルーインパルスに選ばれた後も、すぐに展示飛行ができるわけではありません。
まずは約1年にわたる徹底した訓練が行われ、先輩パイロットとともに基礎から技を習得していきます。
| 訓練内容 | 期間 | 特徴 |
|---|---|---|
| 基本課程 | 約3ヶ月 | T-4機の操作技術確認 |
| 編隊課程 | 約6ヶ月 | 4機以上の密接飛行訓練 |
| 演目課程 | 約3ヶ月 | 実演と本番前の模擬演習 |
生活面では、松島基地に常駐し、食事・運動・健康管理が徹底されています。
緊張感と体調管理の連続ですが、それでも彼らは「空を飛ぶ喜び」があるから続けられると語ります。
ブルーインパルス・パイロットは選ばれし精鋭であり、努力と覚悟を重ねた存在なのです。
まとめ:歴代パイロットの想いがつなぐ空の誇り

ここまで、ブルーインパルスの歴代パイロットたちの歩みをF-86F、T-2、T-4の各時代ごとにご紹介してきました。
時代が変わっても、空を舞うその姿には、歴代パイロットたちの努力と誇りが詰まっています。
受け継がれる技術と精神
ブルーインパルスのパイロットたちは、ただ飛ぶだけではなく、「日本の空を魅せる」という使命感を持って操縦桿を握っています。
その根底には、初代パイロットから現役隊員へと技術と精神が受け継がれていることがあります。
また、殉職されたパイロットたちの想いも、現在の隊員たちに深く根付いており、「安全への配慮」と「完成度の高い演目」の両立が重視されています。
| 時代 | 特徴 | 象徴的な出来事 |
|---|---|---|
| F-86F | 創設期・挑戦の時代 | 東京五輪の五輪マーク飛行 |
| T-2 | 超音速・技術進化の時代 | 浜松基地での大事故 |
| T-4 | 安全性と精密性の時代 | 牡鹿半島での墜落事故 |
今後のブルーインパルスに期待
2024年以降もブルーインパルスは進化を続けています。
新たなパイロットたちが加わり、航空祭や記念飛行などで全国の空を彩ってくれます。
そのひとつひとつの飛行には、これまでの歴史を支えてきたすべての隊員たちの想いが詰まっているのです。
航空祭でブルーインパルスを見るときは、ぜひその背景にある歴代パイロットたちの物語にも思いを馳せてみてください。
そしてこれからの未来、どんな飛行が見られるのか、どんなパイロットが登場するのか楽しみにしていきましょう☆
